●作品について
白拍子の代表曲と言われています。
水猿曲は、水の優れているところを、日本のはるか遠くの国から次々と歌い上げて、水の力の優れている様を褒め称えてゆきます。
まずは西天竺の白鷺池(はくろち)。当時の天竺は、玄奘三蔵が教典を取りに行ったナーランダ僧院(ブッダガヤの北東)よりもさらに西。世界の果てにある池ですよ、と遥かな地に思いを寄せます。
次が雲南省の首都になる昆明池(こんめいち)。これは中国の果てという感じです。
厳陵瀬(げんりょうらい)は浙江省(せっこうしょう)杭州(こうしゅう)、中国の東、日本に最も近い中国です。そこには厳光(B.C.39〜A.D.41)が、中央政権から官僚の誘いを受けても、権力抗争に身を置きたくはないと、日々、釣りの糸を垂れていた池です。
そして山田の筧の水。京都府与謝野郡にあった山田村。現在は与謝野町と呼ばれています。垂仁記によれば、律令制以前の丹羽国造(にわのくにつくり)の王には五人の姉妹がいました。出雲勢力下であった彼女たちは、人質として垂仁天皇(B.C.29〜A.D.70)の愛人として捧げられました。しかし5番目の妹、竹野媛(たけのひめ)は、容姿も優れないので国に戻されます。それを恥じ憂い、国に戻る途中の水に堕ち自殺します。伝説の中で、彼女は初めて水の中で死んだことにより、水の神となりました。竹野媛の名は地名によるものですが、彼女は迦具夜比売(かぐやひめ)とも呼ばれています。彼女は夜、水に映る月を見とめ、月の光に向かって水の中に身を進めていったのでしょう。白拍子として名を残した静(しずか)は、丹羽国(にわのくに)の出身で、この歌舞を得意としていました。
この土地に、徐福伝説が多く残されています。秦の時代から600年経つと、丹羽国(現在の丹後半島)は稲作・農耕・鉄製品の加工・機織・酒造り・医療薬学など、海を越えて多くの技術が渡ってきたところと言われています。
そして最後に三島入江。大阪府北摂津三島地域。桂川、宇治川、木津川が山崎地峡で合流して淀川となる場所。都を流れる川、それが一つのなる入江の水が絶えることは、決してないでしょうと、平安時代の都、京都の繁栄を歌い上げています。
●「水猿曲(みずのえんきょく)」
<歌詞>
水のすぐれておぼゆるは、西天竺(さいてんじく)の白露地(はくろち)
尽浄許由(しむしょうこゆ)に 澄みわたる
昆明池(こんめいち)の水の色 行く末久しく澄むとかや
賢人の釣りを垂れしは 巌陵瀬(げんりょうらい)の河の水
月影ながら洩るなるは 山田の筧の水とかや
蘆の下葉を閉ずるは 三島入江の氷水
春立つ空の若水は 汲むとも汲むとも 尽きもせじ尽きもせじ
<意味>
優れている水として忘れられないのをあげていくと、まずは、西の彼方からは天竺(てんじく)の白露池(はくろち)。これは清らかに静かにたたずんでいる。
昆明池(こんめいち)の水の色は、いつまでも永遠に澄むという。
厳光(げんこう)という賢人は釣りの糸を垂れているのは、厳陵瀬(げんりょうらい)で、そこの河の水も優れている。
月影が洩れて見えているのは、山田の筧(かけい)であるとか。
葦(あし)の下葉を閉ざしているのは、三島入江の氷水のせいだ。それが春になると、空の下の若水は、汲んでも汲んでも尽きることがありません。